坂 村 真  民  の  世  界

よ う こ そ タ ン ポ ポ 堂 ヘ(最終更新2003.1.27)

   (愛媛県伊予郡双海町下灘の水仙畑・2003年1月26日撮影)

ようこそ、坂村真民の世界へ、ようこそタンポポ堂へ、真民さんの詩の魅力と真民さんに関する情報をあなたに届けます。

1.詩 国 2 月 号 2. タ ン ポ ポ 堂 か ら 
3.朴庵(ほうあん)例会のご案内 4.坂村真民全著作一覧 
5.詩国バックナンバー 6.タンポポ堂ライブラリー           (朴庵1月例会)
7.作成者からのご挨拶 8.坂村真民関連HPリンク集
9.メッセージボード  

     あなたは  人目の来訪者です。 


坂村真民さんの略歴

明治42年1月6日  熊本県に生まれる。8歳の時に、父親

の急逝によりどん底の生活に落ちる。5人兄弟の長男とし

て母親を助け、幾多の困難と立ち向かう。昭和6年 神宮皇

学館(現皇學館大學)を卒業。25歳の時、朝鮮にて教職につ

き、36歳全州師範学校勤務中に終戦を迎える。昭和21年

から愛媛県で高校の国語教師を勤め、65歳で退職、以後詩

作に専念する。始めは短歌を志し、昭和12年『与謝野寛

評伝』を著している。四国に移住後,一遍上人の信仰に随

順して仏教精神を基調とした詩の創作に転じる。昭和37年、

月刊詩誌「詩国」を創刊、以後毎月、一回も休むことなく発

刊し1200部を無償で配布している。また詩の愛好者によっ

て建てられる真民詩碑は日本全国47都道府県に分布し、

その数は現在,海外の20基と合わせると約657基となる。

主な著書は、4.「坂村真民全著作一覧」に載せてます。

(南股小学校の除幕式にて(12.9.16撮影)

                                                                


1.詩 国  2 月 号 第 四 十 二 巻 2 月 号
             

                                                                         砥  石

砥部の砥石で 
己れを磨け

これがわたしの
座右銘

詩歌は
わたしを磨くための
砥石であった

特に砥部は
砥石の産地

ああ詩神よ
詩才乏しきわれを励まし
『心の薬』となる詩を
授け給え

 一月六日

一月六日は
わたしの誕生日
何しにこの世に
生まれてきたか
それを知らせてくれる
一番大事な日
猛吹雪が
日本国中を
襲ったが 
今日は好い天気
体の弱かったわたしが
九十四歳になったのも
母のおん守りのおかげ
『父母恩重経』を読誦し
母にお礼を申す
鳥たちも来でくれ
こんとんさんも来てくれ
よい誕生日だった


 もう一つの一月六日

ギリシャ正教会では
今も一月六日が
イエスキリストの降誕祭
そんなことで
ギリシャに旅した時
ギリシャ正教会で祈った
世にわたしを仏教詩人と
言ったりする人があるが
わたしは若くして
十字架にかけられた
イエスキリストの
熱い血が流れていると思っている
わたしが
「念の火柱」などと言うのも
一月六日生まれのせいである


  四国は詩国

 四国に移り住んで
 四国が詩国になった
 特に詩を書く者に
 四国は
 天地の恵みを
 一番よく持っている
 体の弱いわたしが
 九十四歳になったのも
 四国が持つ
 精神の豊かさゆえだと
.感謝する
 特に愛媛県は
 愛に溢れた
 よい処である
 一月六日
 そんなことを思い
 白い雲の流れを
 仰いでいた


  冬生まれ

 冬の日はいい
 老いの身には
 柔らかい
 冬の日の暖かさが
 何よりありがたい
 冬の澄んだ空を
 流れゆく白い雲の一団を
 じっと眺めながら
 わたしは生きていることの
 ありがたさに
 体の透き徹るのを感ずる
 冬の日のぬくもりのなかで
 わたしは『父母恩重経』を
 読誦(どくじゅ)する
 恩重経の中には

  人々母の乳を飲むこと
  一百八十斛(こく)となす

 とあリ
 九十四歳になって
 ますます強く
 母を思う日が多くなった


  明  星

 毎暁東天に
 宇宙が見せてくれる
 一つ星
 明けの明星
 その光を吸飲摂取し
 わたしは生きている
 ああ
 宇宙が示す
 宇宙の心
 宇宙の命

  

 初寅の日

 初音の日の
 寅の一刻の祈り
 吹雪はやんでいて
 星々冴え
 光を吸飲摂取し
 祈る
 今年の大河ドラマ(NHK)は
 宮本武蔵
 武蔵はその著『五輪の書』の冒頭に
 今、寅の一刻である
 『五輪の書』を書き始める
 と言っている

 ああ
 二〇〇三年
 平成十五年の初寅の日の
 寅の一刻(午前三時三十分)の祈りよ

 天にとどけ
 地にひびけ


 祈 り

 深夜
 アーン
 アーンと
 大きな声で
 赤ん坊のように
 叫んでいる妻よ
 年が明けて、
 八十六歳になった
 妻よ
 ひる眠り
 よる起きている
 妻の叫び
 側に寝ている
 真美子も大変である
 神よ救い給え
 仏菩薩よ守り給え
 わたしはただ祈るのみ


 ザ・ベスト

 今年は
 ザ・ベスト
 全力で
 行くのだ
 これで今年は
 詩魂を磨き
 しっかりと一年間を
 生きてゆこう
 大詩母さまへの信仰を
 宇宙的なものとして
 飛天さまの
 お導きを
 お願いしよう
 ああ
 午前三時三十分
 寅の一刻となった


 

 冬の花
 冬の木
 冬の海
 冬の雲
 冬の光
 冬の果物

 冬生まれのわたしを
 ゆたかにしてくれる
 冬のもろもろのものよ
 特に四国の冬はいい


  母への感謝

 お母さん
 体の弱かった
 わたしでしたが
 九十四歳になリました
 あなたのお守リの
 おかげです
 明治四十二年一月六日に
 生まれた
 熊本県府本の家が
 浮かんできます
 やっとこの家を尋ねることができた時
 家の持ち主さんが
 この家は当時のままで
 この柱は
 あなたの産ぶ声を知っていますよと
 言われたのが
 実にうれしかったです
 わたしはその柱をだきしめて
 お礼を言いました
 府本は府本梨の産地
 そんなことから梨の花は
 わたしに夢を与えてくれます
 詩を書くようになったのも
 梨の精ゆえか
 府本はなつかしい処です


  母のごと

 西へ行く
 雲が呼ぶなり
 母のごと
 親雲子雲
 みな引き連れて

                   後        記
                           
                    1   元    旦

 長短針が重なったので招喚起床する。理正院の梵鐘が、新しい年の来たことを告げていた。

しっかりと生きるのだ。詩国賦算の念願を成就するのだ。いい詩を作らねばならぬと、乞い願う。

 四時十分石鎚山頂に明星さま光り給う。吸飲し今年の無事を祈る。初光を吸飲するため重信川の土手

に立っていたが、雲が厚く、とうとう初光吸鉄はできなかった。

 二日は雲ひとつない好天で胸一ばい吸うことができ、ありがたかった。わたしが手術も入院もしたことが

ないのは、日の出の光を吸うからだと感謝しているが、どうか皆さんも、できるだけ実行して頂きたい。

一文の金もいらず、宇宙の大生命を吸飲することは、人間だけにできる最良最高の健康法である。

                 2  人生二度なし

 人生二度なしは、森信三先生の哲学であり、これを継承しない者は弟子と言うことはできない。

私は信仰として、受け継いでゆこうと思っている。九十歳を越えると、人生二度なしの短い言葉が、いよいよ

胸の中に、生き仏の言葉として追ってくるが、私は大宇宙の最高最大の言葉として、実践し、寅の一刻の

祈りをしている。私が九十四歳になることができたのも、この祈りのおかげだと思っている。

                 3   毎暁講「一言芳談抄」

 私が毎暁唱えている言葉だが、毎月の朴庵例会で皆さんに配って唱えてもらおうと思いながら、今日まで、

それができなかったので今月号に掲載します。どうか、暗誦して実践して下さい。私の敬仰する唐木順三

先生も、大変よい言葉として推奨しておられます。


 よひにはふしてなげくべし、いたづらにくれぬることを。暁にはさめて思ふべし、
 
 ひめもすに行ぜん事を。懈怠(けたい)の時には生死無常(しょうじむじょう)を思へ。
 
 悪念思惟(しゆい)の時には声をあげて念仏すべし。鬼神魔縁(きじんまえん)におき
 
 ては、慈悲(じひ)をおこして利益(りやく)をあたへ、降伏(ごうぷく)の思いを
 
 なすことなかれ。貧(ひん)は菩提(ぼだい)のたね、日々(ひび)に仏道にすすむ。
 
 富(とみ)は輪廻(りんね)のきずな、夜夜(やや)に悪業(あくごう)をます。


 千古不易の名文である。どうか唱えて、自分を引き締めて下さい。

                  4  唐木順三さんのこと

 唐木順三さんは私が一番尊敬していた評論家であった。特にその著『詩と死』は、私の愛読書であった。

 大蔵出版社から、一遍上人について書いてくれと、私に依頼状が来た時、私は、それは唐木順三先生が

最適人であることを出版社に通達したのであるが、先生は、亡くなられた。それで、再度、私に依頼があり、

『一遍上人語録−捨て果てて』が、大蔵出敬社から刊行されたのである。

 そういうつながりを持っているので、亡くなられてもなつかしいのである。特にその中の「死と詩」は短かい

文だが、一遍上人について実によく書かれた名文である。一遍上人はどんなに喜ばれたであろうと、

今も時々取り出してわたしは読んでいる。

                  5  時は過ぎ行く

 正月だ、元旦だと言っているうち、二月の声がきこえ出し、二月は逃げると言われるだけに、こうして二月号

の原稿を書いていると、二月十五日奄美に建立される六五七番「念ずれば花ひらく」碑のことが、頭の中を

駆けめぐるのである。

                  6  二〇〇三年平成十五年よ

 二〇〇三年平成十五年よ、

良い年であれと祈りつつ、私は賀状を拝読し、小さい国の運命を思った。歌を作り、詩を作る人間には、国の

未来を祈るだけで、経済にも、政治にも何らかかわらず生きているだけに、大きなことは言えないが、大宇宙

から見れば、海の中のざこのように生きていても、生き甲斐はあるに違いない。この一年、どうか人間と人間

との殺し合いがないよう、タンポポ堂から祈ろう。皆さんも、どうか大宇宙大和楽の真言を唱えて祈って下さい。

                  7  前 月 号 か ら

 一月号の詩では、一位 「二〇〇三年の元旦詩」。 二位 「風に乗って」、 三位 「歴史に学べ」、

四位 「新しい出発」、 五位 「二〇〇三年」でした。

 口で食べることも、話すこともできない妻ですが、生きることの尊さを教えてくれます。

お互いしっかり生きてゆきましょう。

    

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