坂 村 真  民  の  世  界

よ う こ そ タ ン ポ ポ 堂 ヘ(最終更新2003.2.25)

   (愛媛県伊予郡砥部町七折の梅林・2002年3月3日撮影)

 

1.詩 国 3 月 号 2. タ ン ポ ポ 堂 か ら 
3.朴庵(ほうあん)例会のご案内 4.坂村真民全著作一覧 
5.詩国バックナンバー 6.タンポポ堂ライブラリー           (朴庵1月例会)
7.作成者からのご挨拶 8.坂村真民関連HPリンク集
9.メッセージボード  

     あなたは  人目の来訪者です。 


坂村真民さんの略歴

明治42年1月6日  熊本県に生まれる。8歳の時に、父親

の急逝によりどん底の生活に落ちる。5人兄弟の長男とし

て母親を助け、幾多の困難と立ち向かう。昭和6年 神宮皇

学館(現皇學館大學)を卒業。25歳の時、朝鮮にて教職につ

き、36歳全州師範学校勤務中に終戦を迎える。昭和21年

から愛媛県で高校の国語教師を勤め、65歳で退職、以後詩

作に専念する。始めは短歌を志し、昭和12年『与謝野寛

評伝』を著している。四国に移住後,一遍上人の信仰に随

順して仏教精神を基調とした詩の創作に転じる。昭和37年、

月刊詩誌「詩国」を創刊、以後毎月、一回も休むことなく発

刊し1200部を無償で配布している。また詩の愛好者によっ

て建てられる真民詩碑は日本全国47都道府県に分布し、

その数は現在,海外の20基と合わせると約657基となる。

主な著書は、4.「坂村真民全著作一覧」に載せてます。

(南股小学校の除幕式にて(12.9.16撮影)

                                                                


1.詩 国  3 月 号 第 四 十 二 巻 3 月 号
             

                                                                         

詩は
敗者の
嘆きではない
崩れんとする
国を憂い
やむにやまれず
ペンをとリ
また一方では
生きる力を
なくしてゆく
若者たちを思い
起ちあがるための
詩を作る
祈りの焔(炎)
母なる地球よ
この小さな国を
守り給え

 九は苦である

九は
苦である
九十代を
どう生きるか
それは
サタンとの
戦いである
生まれつき
弱い体の
わたしなど
特にその感を
強くする
長生きすることだけなら
わたしは
祈ったりなどしない
さっさと
もう一つの世界へ行く
大切なのは
気を楽にする
薬を作ることである
九十代になった
真民よ
この薬作りに
懸命であれ


 祝  電

あと十三日したら
満百歳になられるので
祝電を打とうと
待っていたら
山本空外先生は
亡くなられ
この世紀の祝電を
打つことができず
空の彼方へ
行ってしまわれた
先生はまったく
宇宙人のような
お方であった
こんなお方は
もう出ないであろう
しんみんよ
空に向かって
祝電を打て


 悔い残る毎日

九十代は
人間としての
生命を与えられた者には
一番大事な
日々である
それを知りながら
今日も空しく
消えていった
体がかゆくて
風呂にも入らず
早く寝たが
これでは
一日中寝ている
妻とあまリ
変わらない
生活である
しっかりしろ
しんみんと
鳥たちの声がする


  貫 通 石

机の側に置いている
一個の石
トンネルの貫通式の時
貰った石だと言って
ある方から頂いた
石である
恐らく
わたしがしている
詩国賦算の使命が
貫通しますようにと
送ってくださったのだろうと
大切に机のそばに
置いているが
わたしの貫徹とか
貫通とかは
わたしの祈りと同じく
念なのである
最後の一掘りで
光の世界となる
貫通の喜びは
掘り続けた人でないと
体験できないと思う
詩国賦算誌五百号も
あと僅かで貫徹する
そのことを思い
わたしは
貫通石に
祈る

石は意志を持つ
すべて何ごとも
貫かねばならないと

  

 北極圏の石

    自転車をこいで、タンポポ堂を出発し、地球を
    まわること八年間、更に北極圏まで旅した重信
    幸廣君から頂いた石である。北極は、地球で一番
    大事な処、磁石は、常に北方を指す。

オーロラの光が
にじみ込んでいる石
北極熊たちの声が
きこえてくる石
何千何万という鳥たちが
とり年生まれのわたしを
呼んでいる声が
きこえてくる石
石は生きていて
わたしの夢を
豊かにしてくれる
それ以来わたしは
枕を北向きにして
寝ることにした
母なる地球の
平和は
北極圏に立つ人の
祈りによって
始めて成就されるだろう
大宇宙大和楽の
真言札を
北極圏に
散布してくださる人の
出現を待とう
わたしが
飛天になろうと思うのも
一つは
そのためである


 タンポポ堂の飛天さま

タンポポ堂には
わたしのために
出現なさった
観世音菩薩さまが
居られるが
このたび
わたしのために
出現なさった
飛天さまが
お出でくださった
檜(ひのき)作りの
美しい飛天さまである
朝夕真言を唱えて
礼拝しているが
思いもしなかっただけに
天のなさることの
不思議さが
身にしみてくる
年をとると
気が弱くなるが
気力をつけてくださる
ありがたさに
朝夕
真言(しんごん)を唱えて祈る
皆さんもどうか
長生きしてください
二度とない人生だから


 共 に 生 き る

本の扉書(とびらがき)に
共に生きると
よく書くが
共は
親しい
友であってもよし
木で
あってもよい
支えるものが
人間には大事だ
年をとると
特に
支えが必要だ
タンポポ堂には
連理の白木蓮がある
春一番の花を咲かせる
見事さは
仰ぐ人の心を
希望と愛に
導いてくれる
春一番の木である


 い い 顔

お父さんお父さん
お母さんがとてもいい顛をしていると
真美子が言う
急ぎ近寄って見ると
八十六歳とは思えない
童女のような顔をしている
こんな日は空ゆく雲も
光り輝いている

                   後        記
                           
                    1    『詩国』が皆さんの手に渡るまで

                        千百人対一人の話

  田中一村さんゆかりの鹿児島県奄美に建立される「念ずれば花ひらく」碑の除幕入魂式は、二月十五日。

その日は奄美に一泊し、翌十六日は、奄美の風物を見学、飛行機は、奄美空港発十五時、大阪空港発十七時

三十五分、松山空港着十八時二十五分。毎日○時○分、長短針が重なる時刻に招喚起床するわたしには、

大変な旅です。

 この際、少し『詩国』の編集につき、書くことにします。毎月、編集に取りかかるのは、その月の始め、編集して

印刷所に出すのが、その月の十日、枚正が済み、タンポポ堂に届けられるのが二十日、これは、きまっています。

現在、私以外の方からの希望で五千百部印刷しています。つまり、毎月五千百部が配布されています。私は、

二月号から少し減らし千百部にして、皆さんに配っています。四つ折りにして封筒に入れ、郵便局には真美子が

持っていってくれます。 最近、近くにいる長女の梨恵子が、ワープロで住所氏名入りの封筒を作ってくれるので、

老いの身は助かります。それまでは、千名を越える封筒を私一人で書いてきました。勤めている時は、ポストに入れ

ると、ポスト一ぱいになり、見ている人がびっくりされたこともありました。

今は、印刷所から持ってこられ、助かりますが、以前は、松山まで取りに行きました。雨が降りだしたり、バスがなか

なか来なかったり、難儀しました。 こんなことは、今まで書いたことはありませんが、一つのものを発行するには、

人に言えない苦労があるものです。
  
 いま、私は九十四歳、老齢で、『詩国』を読みたいと申し込まれても断っていますが、一人対千百人の毎日です。

御寛容ください。

                   2  朴庵例会について

  毎月、月始めの第一日曜日に、近くの開花亭という処で、朴庵例会を開催していますが、二月二日(日)の例会

は、今までにない集会で、二百名近く、各県から集ってこられ盛会でした。 小池邦夫さん主宰の『絵手紙』一月

号に、特集として、「板村真民の祈り」というのが、出たせいもあったでしょうが、

  聞法因縁 五百生

  同席対面 五百生
 
 やはり、じかに会うというのは、本を読むのとは、またちがった縁の探さを覚えるものです。

 この朴庵例会というのは、平成二年一月七日(日)から始まり、以降百六十回、一回も休まず今日まで続いていま

す。続くということは、ありがたいことです。 詩国は四国、いい処です。開花亭には「念ずれば花ひらく」百番碑があ

ります。朴の木もあります。 二度とない人生です。聞法、対面の喜びを体験してください。

                    3  見 え な い も の

 この二月の朴庵例会のテーマは、「見えないものを、見る眼を持とう」でした。 わたしが「タンポポ堂」とつけたのは、

タンポポの花を見て、つけたのではなく、その根を見て、感動し、自分も、タンポポの根のような人間になろうと思い、

名づけたのでした。 櫻花爛漫(らんまん)。それは、目には見えない根たちの働きからなのです。
 
アラスカの写真を撮り続け、誰もしなかった内奥の深い魂までとらえた星野道夫独自の写真は、永遠に、残るもの

として、多くの人たちの心にしみ込んでいます。短かい生涯であったが、写真は残って、人の魂をゆさぶります。

 星野道夫という人は、見えないものをしっかととらえることのできた人だったからです。

 わたしはこういうまなざしを、宇宙のまなざしと言っています。

 北極圏の石を頂いて、私は、星野道夫のまなざしにあこがれます。

                 4 奄 美 特 集 号

 四月号を「奄美特集号」にするため、三月号を早く印刷所に渡し、校正をすませて、出発しますので、多忙の中で

の編集でした。御了承ください。

                   5  前 月 号 か ら

 一位 「冬生まれ」、 二位 「母への感謝」、 三位 「磁石」、 四位 「一月六日」、 五位 「祈り」でした。

 二月号は、誕生日だったせいか、沢山の方からお祝いの書状を項き、厚くお礼を申します。妻も寝たきりですが、

八十六歳になりました。物は言えなくても、聞きとることはできるので、いい顔をしています。お風呂車も過一回きて

くれ、よい世の中になりました。

      詩 国  ト ッ プ ペ ー ジ へ

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