坂 村 真  民  の  世  界

よ う こ そ タ ン ポ ポ 堂 ヘ(最終更新2003.3.29)

   (愛媛県伊予郡双海町の桜の開花・2003年3月29日撮影)

 

1.詩 国 4 月 号 2. タ ン ポ ポ 堂 か ら 
3.朴庵(ほうあん)例会のご案内 4.坂村真民全著作一覧 
5.詩国バックナンバー 6.タンポポ堂ライブラリー           (奄美の詩碑と真民さん)
7.作成者からのご挨拶 8.坂村真民関連HPリンク集
9.メッセージボード  

     あなたは  人目の来訪者です。 


坂村真民さんの略歴

明治42年1月6日  熊本県に生まれる。8歳の時に、父親

の急逝によりどん底の生活に落ちる。5人兄弟の長男とし

て母親を助け、幾多の困難と立ち向かう。昭和6年 神宮皇

学館(現皇學館大學)を卒業。25歳の時、朝鮮にて教職につ

き、36歳全州師範学校勤務中に終戦を迎える。昭和21年

から愛媛県で高校の国語教師を勤め、65歳で退職、以後詩

作に専念する。始めは短歌を志し、昭和12年『与謝野寛

評伝』を著している。四国に移住後,一遍上人の信仰に随

順して仏教精神を基調とした詩の創作に転じる。昭和37年、

月刊詩誌「詩国」を創刊、以後毎月、一回も休むことなく発

刊し1200部を無償で配布している。また詩の愛好者によっ

て建てられる真民詩碑は日本全国47都道府県に分布し、

その数は現在,海外の20基と合わせると約657基となる。

主な著書は、4.「坂村真民全著作一覧」に載せてます。

(南股小学校の除幕式にて(12.9.16撮影)

                                                                


1.詩 国  4 月 号 第 四 十 二 巻 4 月 号
             

                                                                         奄美の碑に

一村さんと
真民とを
結びつけて
くださった
如来使のような
伊藤民子さんに
心から感謝します
碑よ
祖国の太平を
祈り
永久(とわ)に
建ち続けてくれ

一村さんと真民

1 戸籍名

田中一村 戸籍名 孝(タカシ)

坂村真民 戸籍名 昂(タカシ)

2 生年月日

田中一村 明治四十一年七月二十二日  
坂村真民 明治四十二年一月六日

  一村は夏生まれ

  真民は冬生まれ
 
 半年あと
 
明治生まれの気骨は同じ

3 イッソン・シンミン

二人ともわたしの好きな「ン」で終わる人
 
 例 道元。日蓮。一遍。法然。親鸞。

4 五十三歳(詩)


結婚の話を打ち切って

自分の絵に

命を賭(か)けようと

奄美に向かった一村

その時彼は

五十三歳だった

わたしが

森 信三先生にお会いして

やっと腹がきまり

『詩国』を創刊したのが

五十三歳だった

そんなことを思い

一村展を

四回も観に行った

こんなことは

わたしには始めてだった

唸(うなり)をあげて

吹く風よ

いつか二人を

どこかで会わせてくれ
 
 (真民全詩集第七巻所載)
  
○これはこのたびの建碑で実現した。
 
二人の言葉

一村
  
  絵のなかの魂は
  
  永遠に生き続けるのです
  
  私の名前は誰も知らなくていい

真民
 
  念ずれば花ひらく真言は
  
  永遠に生き続けると思います
  
  真民という名前は消えてしまっても
                       
 利根白泉先生のこと

 湯原かの子著「評伝・田中一村」のなか

に、利根白泉先生のことが出ていた。一村

さんが聖徳太子殿の天井画を描く時、白泉

先生に会っている。白泉先生はわたしの命

を救って下さった大恩人である。あの世に

いられる先生に聞いたら、その時のことを

いろいろ聞かせていただくだろう。タンポ

ポ堂には先生の屏風(びょうぶ)絵がある。

 以心伝心

奄美に「念ずれば花ひらく」碑が

建立され

その除幕入魂式に行き

その時ずっと

車椅子のわたしを

押してくださった

後藤光恵さんが

以心伝心

わたしが太鼓を欲しがっているのを知り

探し求めて

空港出発間際に

届けて下さったのであった

それでその披露を

三月二日朴庵例会のとき
 
「妙法蓮華経観世昔菩薩普門品世尊偈」を

唱え

皆さんに聞いてもらった

皮は山羊(やぎ)だと聞いていた

山羊はわたしも飼っていたことがあるので

親しかった

わたしは彼女の

以心伝心が嬉しかった

車椅子の人とならなかったら

この太鼓縁も生まれなかっただろう

太鼓よ

これからのわたしを励ましてくれ

   

   もう一つの以心伝心

もう一つの

以心伝心の話をしよう

田中一村美術館の

学芸員西村康博さんの

忘れ得ない

何よりのよい話

それは特別の箱に

納められている

一村作の木魚を        

取り出して

持たせてくださったことである

わたしはおし頂き

観音経を唱えて                 

一村さんと

心の交流を

結ばせてもらった

なんというありがたい

ことであろうか

思いもかけなかっただけに

このことは

九十四歳のわたしの体に

生きながらえてきた喜びを    

きざみ込んだ

ああ

奄美で体験した

以心伝心の

ありがたさよ

 太平洋に祈る

奄美は

太平洋と

東シナ海に

囲まれた

島である

寄せくる

波頭に

手をひたし

祖国の

太平を祈る

特にこの奄美は

一村さんによって

語り継がれてゆくだろう

アカショウビンよ

よい声で

鳴いてくれ


 あと三十分欲しかった


講演は一切しないことにしているが

奄美の人たちに声を聞かせて欲しい

とのことで

「一村さんと真民」という題で

壇に立った

熱がはいり

空港に行く時間のため

中止要望のメモが入り

壇をおりたが

あと三十分欲しかった

とにかく一村さんとわたしとは

不思議なほど

深いつながりを持ち

生きてきたことを語りたかった

「念ずれば花ひらく」碑よ

これからはわたしに代わって

この碑が

語ってくれるだろう

碑よ

永久(とわ)なれ

 太鼓披露

朴庵三月例会で

太鼓を叩いて

皆さんに披露した

音楽は

音痴で

何も知らないが

叩けば鳴るので

皆さんも喜んで

聞いてくださった

太鼓には

後藤光恵さんの

愛情がこもっているので

良く鳴るのであろう

その日は

まことに良い天気で

床(とこ)のおひなさまの顔も

光り輝いていた

 愛でいっぱい

奄美にあこがれ

飛んでくる

アカショウビン

奄美にあこがれ

飛んでゆく

サカムラシンミン

奄美は

愛でいっぱい

くろしおの海

朝日

夕日の

美しさ

ああ

一村さんと

共に

永久(とわ)なれ


                   後        記
                           
                     1  感 謝 の 言 葉 

 田中一村ゆかりの地奄美に建立(こんりゆう)された第六五七番稗の除幕入魂式を、心をこめて計画し、

采配を振って下さった名瀬市建設部住宅課長の松田秀樹様に、心からお礼を申し上げます。式が成功裏

に終了したのは、松田様のおかげでした。天も感応してか、テントも張れないぐらいの風雨も止み、明るい

心で式ができたのでした。私は初対面でしたが、こまやかな計画書類を見るたびに、どんなお人かは、

わかっていた。その通りのお方であった。特に「念ずれば花ひらく」詩碑の建立祝賀会の愛情溢れる盛大さ

に接し、主宰者松田秀樹さんの人徳というものを感受した。一例を挙げるなら、私が奄美に来てからの車椅子

を押す人まで心配りしておられたことである。

 碑の念願者伊藤民子さんと、建設世話役の松田秀樹さんのコンビあっての、記念の碑であったことを書き記し

た次第です。

                   2  もう一人の方への感謝

 もう一人の方は、田中一村美術館学芸員である西村康博さんです。この方には、前回お会いした時、一村の絵

に対する温かさを持ち、訪れて来る人に対して、ああ来てよかったと、喜びを与えてくださる方だと思った。その時、

車椅子を押して、今回建った碑のそばの一村碑も拝んだのである。以心伝心の処で述べたように、このたびわた

しにとっては奇跡のような、一村作の木魚を拝ませて下さった温情は、わたしの体からいつまでも消えないであろう。

ありがとうございました。感謝でいっぱいです。

                     3 第六五七番碑「念ずれば花ひらく」除幕入魂祝賀会

 第一番碑「念ずれば花ひらく」の除幕入魂式は、主催者の伊豆蔵福治郎社長様が盛大にして下さり、祝賀会も

心をこめて催して頂き、忘れることのできない温かいものであった。あれから沢山の碑が生まれ、それぞれの思

い出が浮かんでくるが、この六五七番碑ほど、楽しく賑やかなものは、始めてだった。

 わたしは、人と違った夕食、就寝、起床をしているので、会に出席しても、乾杯して早く切りあげ、宿舎の部屋に

帰るつもりでいた。ところがどうしてどうして、奄美を挙げての祝宴のようになり、わたしも壇上に立って喜びを述べ

たり、踊りの輪に加わったりして、祝賀会の終わるまで、皆さんと喜びを共にした。沖縄の人もよく踊るが、奄美の

人も、踊りは皆うまい。ここを死に場所とした一村さんも、どんなにか喜ばれただろうと思った。

                  4 奄美に行ってください

 皆さん、どうか一人でも多く、奄美に行ってください。今回の除幕入魂式のビデオ取りに行ってくれた重信幸廣

君が、帰ってからこんな話をしました。十六日はとても良い日で、太平洋がキラキラ光り輝いていました。それで

一人海に入り、硬(みそぎ)をしましたと。この話は良かった。わたしも若かったら太平洋に身を浸(ひた)し、体を

清めたいなと思った。碑の下の海は、そんなに美しい海です。

どうか皆さん、一人でも多くの人が奄美に行ってください。

                 5 詩碑の石

 詩碑の石を見た時、奄美にも、こんないい石があるかと感心しました。「石は生きている」と言ってわたしは、

まず石をしっかりと見て決めるのです。そんなことから碑を見るまでは、少し心配していました。しかし本当に

千年も持つ立派な石なので安心しました。彫りも良く感心しました。必ず奄美と一村さんを守ってくれます。

どうか奄美の人よ、あの碑の前で祈ってください。念じてください。

必ず念願はかなえられます。雨がやんだのも、祈りが効いたのだろうと思っています。

                  6 前月号から

 前月号は、一位「詩」。二位「いい顔」。三位「貫通石」。四位「共に生きる」。五位「九は苦である」でした。
 
たくさんの方から感想や所見をいただき、厚くお礼を申し上げます。
 
四月号で四九〇号になり、一回毎に五百号に接近してゆきます。奄美から帰って、私としては、珍しく風邪を

ひきましたが、やっと治りました。

       

      詩 国  ト ッ プ ペ ー ジ へ

[PR]2歳からの子育てサポート教材:月々660円で1ヶ月分からお試しOK!