坂 村 真  民  の  世  界

よ う こ そ タ ン ポ ポ 堂 ヘ(最終更新2003.4.26)

   (大津市・ライトアップされた琵琶湖疎水と満開の桜・2003年4月12日撮影)

 

1.詩 国 5 月 号 2. タ ン ポ ポ 堂 か ら 
3.朴庵(ほうあん)例会のご案内 4.坂村真民全著作一覧 
5.詩国バックナンバー 6.タンポポ堂ライブラリー           (桜いろいろ)
7.作成者からのご挨拶 8.坂村真民関連HPリンク集
9.メッセージボード  

     あなたは  人目の来訪者です。 


坂村真民さんの略歴

明治42年1月6日  熊本県に生まれる。8歳の時に、父親

の急逝によりどん底の生活に落ちる。5人兄弟の長男とし

て母親を助け、幾多の困難と立ち向かう。昭和6年 神宮皇

学館(現皇學館大學)を卒業。25歳の時、朝鮮にて教職につ

き、36歳全州師範学校勤務中に終戦を迎える。昭和21年

から愛媛県で高校の国語教師を勤め、65歳で退職、以後詩

作に専念する。始めは短歌を志し、昭和12年『与謝野寛

評伝』を著している。四国に移住後,一遍上人の信仰に随

順して仏教精神を基調とした詩の創作に転じる。昭和37年、

月刊詩誌「詩国」を創刊、以後毎月、一回も休むことなく発

刊し1200部を無償で配布している。また詩の愛好者によっ

て建てられる真民詩碑は日本全国47都道府県に分布し、

その数は現在,海外の20基と合わせると約657基となる。

主な著書は、4.「坂村真民全著作一覧」に載せてます。

(南股小学校の除幕式にて(12.9.16撮影)

                                                                


1.詩 国  5 月 号 第 四 十 二 巻 5 月 号
             

                                                                         

鑑真和上展
 愛媛県美術館にて

ああ真の
一字縁の
ありがたさよ
車椅子にて
対面五百生の
喜びにひたる
芭蕉翁は
若葉して御めの雫
ぬぐはばやと
一句を呈せられたが
わたしは
一対一
おん眼の奥に
打たれつつと
拙句を献じた
真民よ
この日を
忘れるな

 病中詠

びっくりされると思います
生活が一変しました
でも死ぬような病気でないので
対処しています

痛み止めのおかげで
寝がえりをし
コ型歩行器のおかげで
食事に行く
自分の体が
自分で動かないようになりました
病中拙詠
御寛容ください


 身心脱落

身心脱落(しんじんだつらく)
脱落身心(だつらくしんじん)
まねでもいいから
体験したかったものを
このたびは
ふとしたことで
体験をした

痛み止めの薬のおかげで
やっと寝返りができ
コ型歩行器のおかげで
食事に行き
自分の体が
自分で動かないようになり
身も心も
一切の束縛から脱落し
無になつた
飛んでいってしまったのだ
本物の身心脱落は
こんなものではないだろうが
わたしにとっては
実にありがたい
体験だった


 公  案

禅宗では参禅者に対して
座禅工夫させる課題がある
それを公案というが
私は杉村春苔尼先生から
無の公案を頂いていた
それ以来わたしの念頭から
はなれなかったこの公案が
このたびの事故で
まがりなりにも解答できた
身心脱落
脱落身心

無である
やっとあの世で
お会いできる身となった
感謝せよ
感謝せよ


 ふすまをへだてて

ふすまをへだてて
寝台を並ベ
よるひる妻と
すごす身となった
夜なかの
妻の苦しみが
こちらに
ひびいてくる
守らせたまえ
守らせたまえと祈る


  自力から他力ヘ

倒れて
足がきかなくなり
生活が一変した
階段があがれなくなり
下に移り
寝台が持ちこまれ
コ型歩行器が
両脚の代わりになり
これなくては
どこへも行けなくなった
そのほか
なにもかも
自力から
他力となり
生きている
あけくれである


 
 
 身心脱落の人

わたしは身心脱落の人に
お会いしている
身心脱落の人は
すずしい方である
わたしが大詩母さまと
お呼びしている
杉村春苔尼先生は
実にすずしいお方であった
身心脱落には難しい解釈がされているが
それはあくまでも禅的解釈で
やはり一番わかりやすいのは
そういうお方に会うことである

   註・・参考に広辞苑からの解釈を記しておこう。
      身心脱落・・・身も心も一切の束縛から解放されて
       絶対的な自由を獲得した悟りの境地。道元の言葉。

   光

体験は大事だが
体験だけでは
光は生まれてこない
体験を
どう生かすかによって
功徳(くどく)の光が
生まれてくる


 戦  争

戦争に
正義はない
すべて悪である


 良寛さんの歌

 良寛さんの歌が良いのは
 身心脱落者だからである


 星野道夫の本

 病床中
 星野道夫の本を
 随分と読んだ
 名前もよいが
 二度とない人生を
 星のように
 生き切った人だ
 四十四歳で
 永遠の人となったが
 道元さんも
 五十四歳で
 永遠に残る
 仕事をしている


 宗教戦争

 宗教戦争ほど
 神仏を
 悲しませるものはない
 わたしが宇宙大和楽と
 となえるのも
 そうした戦争を
 なくしたいからである


  先見の明

 事業家は
 先見の明を
 持たねばならぬ
 そうしないと
 大矢敗をすることがある


  続  け

  田中一村に続け
  星野道夫に続け


  祈  り

  満開の桜の下で
  今年も祈りました
  技の花の化身(けしん)である
  木花之開耶姫(このはなのさくやひめ)さまに
  日本よ
  もう二度と
  戦争はするなと


  記念すべき一ヵ月

  記念すべき
  一ヵ月だった
  苦しい日々だったけれど
  星野道夫の本を
  何十冊も読んだ
  道元さんと
  その母との
  せつないまでの
  美しい話も
  知ることができた

                   後        記
                           
                     1  病中体験身心脱落

 倒れたのは三月四日の朝である。紙がすべって直下型に倒れ、腰の骨を痛めた。丁度その日は、愛媛県美術館

で開催されている「鑑真和上展」を観に行くことになって居り、真美子の車で行き、車椅子で拝観した。体の痛みは

あまり感じなく帰宅した。

「詩国」四月号の原稿を印刷所に出すのが十日なので、少々痛みはするが、それに耐えて仕事をした。

そのうち痛みが日々激しくなり、十五日には階段が上がれなくなり、居を二階から下に移した。もうその頃は、

寝返りもできなくなり、痛み止めの薬のおかげでやっと寝台から起きあがるという病状になった。これはやはり、

レントゲン検査をして貰わねばならぬと、重信君に来てもらい、やっと起床して病院に行った。

 検査の結果、骨にひびは入っていないが、痛みがとれるまでは三ヵ月はかかるだろうと言われた。

 死ぬ病気ではないので安心はしていたが、寝返りもできない痛みは、老いた身にこたえる日々であった。
 
 ふすまをへだてて、常臥(とこふし)の妻が寝ている。
 
 真美子も大変なことになった。
 
 わたしがなんにもしていないならともかく、月刊誌「詩国」を出したりしているので、本の注文やら、発送などまで、

この子にかかってきて、本当にすまなく、一日でも早く痛みがとれ、元気な体にならねばならぬと、祈りに祈る毎日

であった。

 でも寝ながら思った。

 この倒れが、奄美での建碑式の前でなかったことが何よりの幸せであり、救いだったことを。とてもいいビデオが

でき、それを見ながら神仏が救ってくださったのだ、だから倒れたのを嘆いたり、弱音を吐いたりしてはならない

ぞと。一日でも早く快くなり、「詩国賦算」五百号を成就達成させるんだと。

 四月六日(日曜)は朴庵例会だった。倒れてから一日おいて、殆ど寝たきりの生活になり、外へ出なかったのだが、

例会だけはどうしても出たく、こんども重信君に頼んで、やっと皆さんの前で話をした。テーマは「病中体験身心脱落

について」であった。病中詠の処にも書いているが、倒れたおかげで、思わぬ体験をした。本もたくさん読んだ。

特に星野道夫の本を読んだ。

 倒れた日、鑑真和上展を拝観しに行ったことも、今にして思えば何よりありがたいことであった。わたしは、

今月号の巻頭詩に和上展の詩を出しているが、曹洞宗から刊行されている宗報誌にも次のような詩を出している。

  鑑真和上展にて

ああ
鑑真和上さま
真の一字縁の
ありがたさに感激し
和上のおん前に立ち
車椅子にて
対面五百生の
喜びを告げたてまつります
いま日本は戦いに敗れ
信仰心も持たず
多くの人が暖衣飽食の
生活をしています
芭蕉翁も
若葉して御めの雫(しずく)ぬぐはばや
と一句を捧げられました
私も一詩を祷げ
仏縁のありがたさに
手を合わせます

                 2  前 月 号 か ら

 第一位は「愛でいっぱい」。 二位「一村さんと莫民」。 三位「以心伝心」。 四位「二人の言葉」。
 五位「奄美の碑に」でした。

  

      詩 国  ト ッ プ ペ ー ジ へ

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