坂 村 真  民  の  世  界

よ う こ そ タ ン ポ ポ 堂 ヘ(最終更新2003.10.26)

   ( 愛媛県・重信町見奈良のコスモス畑 ・2003年10月4日撮影)

 

1.詩 国 11 月 号 2. タ ン ポ ポ 堂 か ら 
3.朴庵(ほうあん)例会のご案内 4.坂村真民全著作一覧 
5.詩国バックナンバー 6.タンポポ堂ライブラリー           (重信町コスモス畑)
7.作成者からのご挨拶 8.坂村真民関連HPリンク集
9.メッセージボード  

     あなたは  人目の来訪者です。 


坂村真民さんの略歴

明治42年1月6日  熊本県に生まれる。8歳の時に、父親

の急逝によりどん底の生活に落ちる。5人兄弟の長男とし

て母親を助け、幾多の困難と立ち向かう。昭和6年 神宮皇

学館(現皇學館大學)を卒業。25歳の時、朝鮮にて教職につ

き、36歳全州師範学校勤務中に終戦を迎える。昭和21年

から愛媛県で高校の国語教師を勤め、65歳で退職、以後詩

作に専念する。始めは短歌を志し、昭和12年『与謝野寛

評伝』を著している。四国に移住後,一遍上人の信仰に随

順して仏教精神を基調とした詩の創作に転じる。昭和37年、

月刊詩誌「詩国」を創刊、以後毎月、一回も休むことなく発

刊し1200部を無償で配布している。また詩の愛好者によっ

て建てられる真民詩碑は日本全国47都道府県に分布し、

その数は現在,海外の20基と合わせると約657基となる。

主な著書は、4.「坂村真民全著作一覧」に載せてます。

(南股小学校の除幕式にて(12.9.16撮影)

                                                                


1.詩 国  11 月 号 第 四 十 二 巻 11 月 号
             
  母を念(おも)えば

母を念えば
どんな苦労も
じっと耐え
生きるカが
わいてくる

母を念えば
手足の爪(つめ)も
母のいのちの
こもるもの

母を念えば
鳩寿過ぎても
子供なり
賞の喜び
あの世にひびけ

   虹

虹もあまり立たなくなった日本
 虹を仰いでも
 あまり感動しなくなった日本人
 北極南極のオーロラを
 テレビで見ながら
 そう思った
 車社会となり
 人々は
 空を仰ぐことも少なくなり

  人の世も斯く美しと
  虹の立つ (虚子の句)

 こんな句を作る人も
 少なくなった
 淋しい日本よ
 日本人よ


 小さい世界

 タンポポ堂も小さい
 タンポポの花も小さい
 俳句短歌も小さい
 日本の国も小さい
 でも
 その心は大きい
 だから決して
 卑下するな
 遺伝子も小さいが
 遺伝子が語る
 幾千幾万の世界を思え
 だから小さい自己を
 大切にしよう
 千年万年のまなざしを持つ
 人間になろう
 わたしはある日
 白分にそう言い聞かせた


  母  念

母念とは
母を思うことです
父母恩重経には
母の乳を飲むこと
一百八十斛(こく)とある
母の乳が
手足の爪(つめ)となり
体を作ってゆくのです
中国上海にも
母念の碑が建つという
ありがたいことです


 不 思 議 一

入院もせず
手術もせず
二回も召集を受けて
死にもせず
引き揚げの時も
最大の苦難に会ったが
助けられ
その後
死相が出るような
病苦に会ったが
救われ
鳩寿の齢(よわい)を越え
生きる
不思議よ


 不 思 議 二

 脳動脈りゅう破裂で倒れ
 救急車で運ばれながら
 すべて不思議不思議で
 難をのがれ
 その後更に
 脳血栓で
 物も言えず
 口で食べることもできず
 ふすま一つへだてて
 生きている
 八十六歳の妻よ
 不思議不思議の
 連続である

 ああ大宇宙霊の
 不思議を知ろう
 知りて
 その大恩に
 応えよう
 応えねばならぬ


  お か げ

 眼が見えなくなろうとした
 時のことを
 片時も忘れるな
 念仏のおかげだ
 春苔尼先生のおかげだ
 母のおかげだ
 大字宙のおかげだ
 観世音菩薩のおかげだ
 思いあがってはならぬ

 

  生 命 の 詩

 どんな小さな花でも
 どんな小さな魚でも
 生命を持ち
 宇宙の一員として
 光を浴び
 光を吸い
 自分の命を大事にして
 生きている
 タンポポを例にとって
 見てごらん
 夢を持ち
 願いを持ち
 命の綿毛を飛ばせて
 遠くへ飛んで行くでしょう
 宇宙もろもろのものたちを見て
 人間たちは
 もっともっと生命を尊び
 殺し合いの戦争などしないよう
 呼びかけようではありませんか
 日の本つ国日本民族の使命は
 そこにあることを
 このごろわたしは
 しみじみとそう思います


 鳥や蝶たちと

 鳥や蝶たちと
 飛んでゆこう

 九十代になって
 楽しい詩を作る
 詩人になろう
 九十代には
 なかなかなれないから
 楽しい詩を作ってゆこう
 地球上には
 戦争ばかりする国があり
 人間たちが居るが
 子供たちは
 生き生きと生き
 夢を持ち
 生きているのだ
 ミカンの木には 
 ミカンがなり
 リンゴの木には
 リンゴがなり
 自然はすべて美しい
 蝶や鳥たちが喜ぶ
 国を作ろうではないか
 母なる地球を
 いつの日にか
 変えてゆこうではないか


  無二的人間

 無二的人間
 これはわたしたちがもっとも尊敬する
 山本空外先生が
 作り出された
 人間像である
 わかりやすく説明すれば
 相手に愛を感ずる
 人間を言う
 書道から説明すれば
 紙や筆に愛を感じ
 字を書く人間を言う
 そういう人間が
 原子爆弾を落すだろうか
 先生は原爆にやられた人だ
 この人間観は
 愛の深さから
 生まれた言葉だ
 先生は百歳まで
 生きられた
 先生がこの世に残された
 この人間観を
 一人でも多くの人に伝えたい
 わたしは先生の最晩年にお会いし
 この人間観を体に持ち
 「愛」の一字を
 大きな色紙に書く


  弥勒菩薩さま

 弥勒菩薩(みろくほさつ)さま
 あなたは五十六億七千万年後に
 出現されると言うが
 人間はもういないでしょう
 だから五十六億はとってしまって
 七千万年後でいいです
 どうか
 この母なる星地球を
 戦争などない
 平和と幸せの星にして
 下さいませ
 わたくしは
 飛天になりますので
 なんとか
 その日に際会することが
 できると思います
 これはわたしの
 楽しい夢のひとつです
 南無弥勒菩薩さま

                   後        記
                           
             1   お 知 ら せ

 まずお知らせからします。
 平成十五年十一月二十六日(水)淡路島八浄寺にて「母念の碑」(六七八番碑)の除幕入魂式があります。

午前十時三十分開眼法要です。
 
 平成十六年一月四日(日)会場の朴庵が正月休みの混雑が予想され、一月例会は、十一日(日)に変更します。
 
 平成十六年二月一日、詩国が五百号になり、朴庵二月例会を兼ね、第八回全国朴の大会として、愛媛県民文化会館

で開催する予定です。詳細は十二月、一月号に発表Lます。

                  2   九十代ということ

 こう書いていると、なんだか平成十五年も終わってしまうような気がします。わたしにとっては、貴重な一年でした。

この年を無事に突破できれば、広々とした世界が展開できるぞと、自分にも言い聞かせているからです。

 九十代というのは、大切な時代です。ただひたすら一つの道を行く者は、貴い時代です。宇宙心霊のあかしともなる時代

です。特に、小さい時からわたしのような運命を背負っている者には、はかり知れないありがたさを覚えます。

 生きることがわたしの信仰ですと、しんみりと言えるのは九十代になってからです。

 熊本県近代文化功労者賞を、死んでから貰うのと、生きて貰うのは、大きな違いです。賞を頂いてしみじみそう思いました。                                                                                
                  3   ふすま一つへだてて 
           
 ふすま一つへだてて寝ていると、いろんなことを思います。このひとと一緒になって一番嬉しかったのは、特高(特別高等

警察)に検問されないようになったことです。下関港から船に乗り込む時は、いつもやられたが、結婚して二人乗り込むと、

無事乗船できたので、ああ女のひとはいいなあと、しみじみ思い、このひとを大事にしなければいけないぞと、しつかりと自分

に言い聞かせました。わたしは二十六歳、妻は十八歳、二人はもう日本には帰らない覚悟で、朝鮮を愛し、朝鮮の人たちの

幸せのため、生きようとしたのでした。

 嫁ぐとき妻が持てきし丹布団(にぶとん)も

 今は売られて誰(たが)着るらんか

というわたしの歌があるが、あの布団は殆ど着ることなく、終わったのです。

 ふすま一つへだてて寝ていると、いろんなことが思いだされてきます。

朝鮮を引き揚げる時、写真も着物も、母からもらった手紙も、大切なものは皆しっかり梱包(こんぽう)して送り出したが、

何一つ熊本には届きませんでした。 二人で過ごした長い異国での思いは、いつまでも消えることはないでしょう。

                 4   なぜ詩を書くか

 鳩寿の坂を越えても、なぜ詩を書くか。それは自分を作りあげるためです。他の人は知らないが、わたしはこのために

体を大事にし、心を新たにするため、まったく違った生活をしています。それはすべて自分を作りあげるためです。三度三度

の食事でも、自分を作りあげるため独自の食べ方をしています。二度とない人生を、どう生きるか、これほど大事なことはない

のです。教員になっても、わたしはわたし流の生き方をしてきました。一生教員として終わろうと決意したのも、詩を作りあげる

ためにはそうあるべきだと思ったからです。わたしの人生も終わりに近づいて行くので一文を草した次第です。

                    5   前月号から

 一位「熊本県近代文化功労者賞を頂く」。  二位「どこへ行くのか」。 三位「初光吸飲」。 四位「観世音菩薩のお体」。 

 五位「山本空外先生」。

今月号は特別たくさんの方から頂き厚くお礼を申し上げます。

          ト ッ プ ペ ー ジ へ
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