よ う こ そ タ ン ポ ポ 堂 ヘ(最終更新2003.11.24)
( 熊本県庁前のイチョウ並木 ・2003年11月5日撮影)
| 1.詩 国 12 月 号 | 2. タ ン ポ ポ 堂 か ら |
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| 9.メッセージボード |
あなたは 人目の来訪者です。
坂村真民さんの略歴 明治42年1月6日 熊本県に生まれる。8歳の時に、父親 の急逝によりどん底の生活に落ちる。5人兄弟の長男とし て母親を助け、幾多の困難と立ち向かう。昭和6年 神宮皇 学館(現皇學館大學)を卒業。25歳の時、朝鮮にて教職につ き、36歳全州師範学校勤務中に終戦を迎える。昭和21年 から愛媛県で高校の国語教師を勤め、65歳で退職、以後詩 作に専念する。始めは短歌を志し、昭和12年『与謝野寛 評伝』を著している。四国に移住後,一遍上人の信仰に随 順して仏教精神を基調とした詩の創作に転じる。昭和37年、 月刊詩誌「詩国」を創刊、以後毎月、一回も休むことなく発 刊し1200部を無償で配布している。また詩の愛好者によっ て建てられる真民詩碑は日本全国47都道府県に分布し、 その数は現在,海外の20基と合わせると約657基となる。 主な著書は、4.「坂村真民全著作一覧」に載せてます。 (熊本県近代文化功労者賞受賞式にて(15.11.5撮影) |
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| 1.詩 国 12 月 号 | 第 四 十 二 巻 12 月 号 |
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| 写 真 行っていらっしゃいとも言えぬ 妻であるゆえ せめて写真なりともと思い 持ってゆく 共に熊本生まれゆえ どんなに喜ぶだろうと思い 胸に入れてゆく 三 姉 妹 わたしが熊本に行くので 妻を伊予病院に預けた そのため千葉市にいる佐代子が 伊予病院に来た それで 梨恵子 佐代子 真美子の 三姉妹が 久しぶり一緒になり 伊予病院の一室で 話をしている わたしはチエーホフの 三姉妹のことを思った 平成十五年 二〇〇三年十一月一日 大安吉日 伊予病院の二百一号室で 三姉妹が揃い 親子五人が 話をしている これは記念すべき日だと 思った ロシアの作家チエーホフの 三姉妹と ニホンの詩人サカムラシンミンの 三姉妹よ この日を長く伝えておくれ 鳩 寿 の 杖 鳩寿の杖をついてゆく しっかりしろ しんみんと ついてゆく 天のおかげだ 地のおかげだ 神のおかげだ 仏のおかげだ 大字宙のおかげだ かたときも 御恩を 忘れるな す ま ぬ す ま ぬ 今日は妻が 伊予病院に預けられる日だ すまぬ すまぬ もう二度とこんなことを してはならぬ わたしが熊本に行くからだ ものが言えないだけに どんなにか つらいことだろう 民間救急車で 行ってしまった 急に淋しくなり 仏前に祈る 生 き る の だ 生きるのだ 生きるのだ 念彼観音力で 生きるのだ 生きるということが わたしの信仰だ い い で しょ う あの世が あるかどうか わからないが あると思った方が いいでしょう 神や仏が あるかどうか わからないが あると思った方が いいでしょう 宇宙心が |
い い で しょ う あの世が あるかどうか わからないが あると思った方が いいでしょう 神や仏が あるかどうか わからないが あると思った方が いいでしょう 宇宙心が あるかどうか わからないが あると思った方が いいでしょう 鳩寿になって そう思うようになリました 天があって 地があり 男があって 女があり 共生ということが 平和の元(もと)ではないかと 思うようになりました 木 を 植 え よ う 木を植えよう それも 朴の木を 植えよう 自分が この世を去っても 木は大きくなってゆく 特に朴の木は 人のためになる材木となり ホウ ホウと 禅林では 修行僧の 魂を練る 声ともなる わたしが朴の会をこしらえているのも そういう木だからである ホウ ホケキョ ホケキョウと 鳥でも 鳴くではないか 鳩 寿 歳 の 生 き 方 やっと鳩寿歳になった そしてこの十年を どう生きようかと念じて 「美しくいきよう」 ということにした 鳩寿には そう誰でも なれないのである 弱い体のわたしが 鳩寿になったのは 神仏のおかげである 大字宙大和神の おん守リの おかげである だから心身を大事にして その御恩に応えねばならぬ マザーテレサの記念メダル 十月十九日バチカンでの マザーテレサの列福式に 参列きせて頂きましたので 記念メダルをお送リします と書かれていた マザーテレサさんには 直接会わなかったが 霊の世界では 誰にも負けないぐらい 心は通いあって 生きてきた 貧しい者への 愛の深さは テレサさんに及ぶ人は ないだろう この人に学べ この人と共に生きよと わたしは詩を作ってきた わたしは しんみん・さかむらと 英語で書かれた手紙を 一通持っている またわたしの詩集を 持っている写真も 一枚持っている 大事なのは 魂と魂との出会いである わたしが尊ぷのは 心霊の世界である このメダルは そう誰でも 持たないであろう 赤い箱に入った メダルよ 尊いメダルよ わたしの生き方を 教え導いてくれる 天使のメダルよ |
| 後 記 1 江 津 湖 十一月四日(火)、松山空港を八時三十分に出発。一応、伊丹空港に行き、伊丹空港を十時四十五分発で 熊本空港に着く。 まず江津湖を見たいので、車で連れていってもらう。なぜかと言うと、伊勢の学枚を卒業し、代用教員として就職 したのが、江津湖のある画図(えず)小学校であり、一番なつかしい思い出を持つからである。名前も良し、学校も 良し、先生たちも良し、人生のスタートをここで過した一年間は、本当に楽しい生活だった。わたしは、記念として、 タイヘイレコードから「画図湖の唄」という盤まで出し、青春の何よりの記念としたのである。 でも、今見る湖は、もう生命はなく、日本の川のすべてが駄目になったように、湖もまた駄目になっていた。 片山さんは、その後、わたしと別行動をとり、父の写真が掲げてある玉名小学枚を訪ねに行かれた。 2 授 賞 式 授賞式は、県庁で行われた。 潮谷義子熊本県知事のお話は、とても良かった。特に、わたしへの紹介は、よく詩を読んでおられるお方である という、心のこもったものであり、感動し感謝した。 頂いた顕彰状も、ただの形式的なものでなく、郷土らしい温かさがあった。 顕 彰 状 坂 村 真 民 様 あなたは永年にわたり人々に生きる 勇気と希望を与える詩を作って こられました また多くの作品を 通して人間らしく生きることの尊さ を社会に伝えられました その功績 をたたえ ここに熊本県近代文化功 労者として顕彰します 平成十五年十一月五日 熊本県教育委員会 という額入りの立派なものであった。 一緒に表彰を受けられた植田いつ子女史も、わたしを知っておられ嬉しかった。 今年最大の行事は終了し、ほっとした。 3 祝 賀 会 あと、ホテル日航能本の会場で、わたしを囲んでの祝賀会があり、二百五十名の方々が集まって下さり、楽しい ひとときを過ごした。 親戚の人も沢山こられて居り、妻が元気であれば、どんなにか喜んだだろうと思われ、側に居ないのが、淋しかった。 熊本は雨、ホテルから阿蘇の煙が見える部屋をとってあったが、とうとう見ずに柊わった。時間があれば、母の 実家も見たかったが、もうふるさとに帰ることもあるまい。瞼のなかにしまい込み、ふるさとの詩を作ってゆこう。 4 前月号から 一位 「母を念えば」。 二位 「生命の詩」。 三位 「不思議一」。四位 「不思議二」。
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